小説家の文体は、4つの要素で決まる。

小説に使われる描写には、情景描写と心理描写、そして行動、動作描写がある。(a)
この描写は物語の語り手が誰か? によって制約をうける。(b)
たとえば、小学生の男の子が語り手の小説なら、小学生が語りそうな描写で物語を
描かなければいけない。
あたりまえだが、夏目漱石「吾輩は猫である」は 猫の目で見た描写 で書かれている。

この情景描写と心理描写、そして行動、動作描写もじっさいに小説に書かれる時は
過去形で描かれるものと、現在形で描かれるものがある。(c)
それを図式化したものが一番下の図だ。
と、ここまで書いて、描写の類型を説明したつもりになっているが
これだけではない。

それぞれの文章には、書かれた文章のときより前のこと(回想)を描いたものがある。(d)
そして、さらに先ほども書いたように、視点が誰か? による制約で
小説家(文学作品の作者)の文体が決定される。

少なくともこれら (a) (b) (c) (d) の4つの要素と、その配列で文体は決まる。
小説(文学作品)とは、かくも複雑にできているものなのだ。

「書かれた文章のときより前のこと(回想)を描いたもの」というと何のことか?
わからない人もいるかもしれないので、例をあげておこう。

夏目漱石「吾輩は猫である」の書き出し部分だ。

吾輩は猫である。名前はまだ無い。
どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。
何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
吾輩はここで始めて人間というものを見た。

参考:夏目漱石「吾輩は猫である」

この文章を下の図にあてはめると、こうなる。

(1)吾輩は猫である。名前はまだ無い。・・・B
(2)どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。・・・B
(3)何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事・・・D
(4)だけは記憶している。・・・B
(5)吾輩はここで始めて人間というものを見た。・・・F

ここで、(2)の文章の視点の時より以前のことが(3)で書かれている。これが該当する箇所だ。
それでも、この文章の流れはリズミカルによどみなく続いている。

この文章をBとE、つまり心理描写だけで書くとこうなる。

猫である私に名前というものはいまだ存在しなかった。出生地も知らずうす暗いところで
泣き続けていたことは今でも覚えている。私はその地で人間というものの存在を知った。

この2つの文章を比べてみると文体の違いが如実に理解されるだろう。
後者の文体は、フランス文学のアンチロマンの中でも理屈っぽい文学者が書きそうな文体で、テーマも重そうに感じてしまう。きわめて硬質な文体だ。

文体とは小説のストーリーがどうであれ、4つの要素によって確定してしまうものなのだ。

文学の作り方:情景描写と心理描写、そして行動、動作描写

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