カフカ「変身」を舞城王太郎が書くと、どうなるか?・・・。純文学らしさは文体・語り口に左右される。

舞城王太郎は何回か芥川賞の候補になっているし、2003年には「阿修羅ガール
で第16回三島由紀夫賞も受賞している。文学系の小説家なのだが、いかんせん
その文体・語り口・描写は芥川賞の選考では素直には受け入れてもらえないらしい。

阿修羅ガール」は好きな小説のひとつだが、
純文学という殻をかぶったような保守的な環境では、この時代にこびた作品と思われるのでしょう、きっと。
この文体・語り口は文学村には受け入れてもらえないのでしょうね。 残念!

そんなわけで、文学作品が文体・語り口・描写によって、
どんなふうに文学賞の選考者に受け入れられるか、受け入れられないか を具体例で書いてみようかと思った。
なぜ、読者に受け入れられたか? じゃないのかって?

では、さっそく
「カフカ「変身」を舞城王太郎が書いてみると」
書き出し部分のみ 私が勝手に舞城王太郎氏の文体を真似て書きました。

朝、目がさめると、寝床の中のたくさんの足が私の意志とはうらはらに
ぴくぴく動いている。
なに、このグロテスクな私。
もどれ。
とか言ってももどるもんじゃない、この形。
昨日のお酒のせい?
酔わせてお持ち帰りしようとする佐野のこんたんが
見えすいているんだよ、とか言っても夢から覚めてくれるわけじゃない。
夢? 夢にしちゃこの足の痛み、リアル。
顔を上げると褐色の腹。
もうこんな姿、いくねえよ。なにこれなんて、半端ない洗礼、まじありえない転生。

The post カフカ「変身」を舞城王太郎が書くと、どうなるか?・・・。純文学らしさは文体・語り口に左右される。 first appeared on 文学の作り方.